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連載コラム

その25 2年後先人にリスペクト


中学校2年生の夏
総理に大切なことを教えてくれた

先生がいる

それは八重州南口だ。

八重州南口はJR東京駅の出口の名前だ。

中学校の頃の総理は
西と東は逆で
北と南は逆の場所にあると思っていた。
だから、西口に行きたいなら東口を見つけて、方角的に逆に行けばいいと思っていた。

中学2年生の夏その考えがぶちこわれた。

そう、『八重州西口、東口こちら→』
という看板を見たからだ。

西口と東口が同じ方向にある、、、??
はぁ??

どういうことだ?

西と東は逆だろ???

三度見したが、『八重州西口、東口こちら』と書いてあった。

総理はこの嘘つき看板の嘘を暴き、息の根を止めるべく東京駅内を走りだした。

走ること5分、確かに西口と東口が300mくらいの距離にあることを突き止めた。

ほら見ろこの嘘つき!!!

っと叫んだが、周りのサラリーマンは気にもとめず通り過ぎていった

ある一人の20代後半の男性サラリーマンが横目でちらちら不思議そうな顔をして総理を見ていた。

総理はそのサラリーマンに
事情を説明し『おかしいやろ!?この駅!絶対おかしい!だって西口と東口が同じ方向にあるもん!』っ言った。

サラリーマンは、頷きながら
『そうだねー、だけど、もう慣れてしまってるんだよね僕らは』と言い、急ぎ足で改札に向かって行った。

総理はその日ずっと考えていた。

確かに普通に考えたら、西口と東口が同じ方向にあるのはおかしい

この、おかしいと感じるのは僕だけではない。
だけれども、実際に、いや実際に存在しているのだ、西口と東口が同じ方向に
そしてみんなそれに適応しているのだ。

この矛盾をどうすればいい。
そして総理はある1つのことに気付く。

この矛盾の全ての元凶は自分の思い込みだということだ。
確かに、西と東は逆だが、西と東がどれだけ離れていないといけないかは決まっていない。
確かに、八重洲の西口と東口は南がから見れば同じ方向にあった、だけど
西口より300mだけ東口が東にあった。

たしかに、そうなのだ。
東にあるっちゃあるのだ、西口から見ても。

結局のところ、東口は東にあって、西口は西にあった。
それが駅の真逆の位置にないとおかしいと思うこの決めつけ、常識こそおかしかったのだ。

JRがそう決めたなら、それがそうなのだ。
それを後から来た、関西人があーだこーだ言おうと
こちらはこちらのルールでやっているのだ。

例えて考えろ。さらに分かりやすく、分かりやすくするために。。。

総理は中学校のお昼休みにこのことを考えていたが、もうすぐ休み時間がおわりそうだったので、家に帰って集中して続きを考えるべく、中学校から出た。

帰り道頭の中を、整理していた。

この歩く早さもそうだ、早歩きしたとしても競歩の選手からしたら遅いのだ。けれども、赤ちゃんからしたら早いのだ、、、ぶつぶつ、、

八重州の一件における、俺の思い込みは

駅の真反対の場所に西口と東口はなければならないということ。
しかし、それは例え1mmでも西口が東口より西にあればいいということ。

このことを、自分の実生活に置き換えると

相手には相手の基準があるということだ。

例えば 「今日めっちゃ勉強したわー!」という奴がいて5分勉強したとしよう。

多くの人は「全然してないやん!」

と思うかも知れない

しかし、それこそが間違いなのだ。

そいつは毎日1分しか勉強していないので、いつもの5倍もしているのだから。

それを全然していないやん!っと罵る奴は自分の価値観を相手に押し付けているに過ぎない。全くもって馬鹿者なのだ、そんなことを考えていると、いかに自分が馬鹿者だったかを痛感させられた。

ちなみに、この様に人には人の尺度があるという言葉は「相対性」と言われるのだが、この言葉に総理が出会うのはあと2年かかるのだ。

家に帰って、ソファーに座って
ノートに頭の中を整理して書き出していると、母親が帰ってきた。

総理は急いで自分の部屋に戻り、電気を消してこっそり彼なりの『研究』を続けた。その作業は夜までかかり、終わった時には既に12時を回っていた。

母親が洗濯物を返しにきた時、ノートに自分の考えを刻み続ける姿をみて
総理が勉強に目覚めたのだと勘違いして、母親は「今日は頑張ってるやん」と言った。

総理は「頑張ってるかどうかは俺が決めることや!いつもの頑張りと今日の頑張りがどう違うか説明できんのか!?まず!勉強じゃないし!これは俺なりの研究や!」

と返した。

映画はまだ流れ続けている

母親は「はいはい〜。」と言った。

映画はまだ流れ続けている

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